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What We Have Learned from the Experience of Minamata Disease
- Issues during the Occurrence of the Disease and up to 1968 -
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表紙 | 9 kb | ||
まえがき,水俣病に関する社会科学的研究会について,ほか | 18 kb | ||
目次 | 15 kb | ||
序章 | 水俣病の悲劇と現代の化学物質問題 | 56 kb | |
1.水俣病の概要 | |||
2.水俣病の発生メカニズムと病態 | |||
3.水俣病の教訓 | |||
4.本報告書のねらい | |||
第1章 | 予兆の時代から昭和31(1956)年5月の水俣病公式発見までの動き | 171 kb | |
1.時代背景,チッソの産業政策上の位置付け,チッソが地域の経済社会に占めた位置,チッソの技術開発の特徴 | |||
2.水俣病公式発見に至るまでの初期徴候 | |||
3.公害対策に関する立法 | |||
第2章 | 水俣病の原因究明および発生源確定の過程(その1) | 66 kb | |
1.水俣病公式発見直後の迅速な原因究明体制の構築 | |||
2.食品衛生法の適用に関する昭和32(1957)年9 月の厚生省回答と翌年6 月の厚生省厚生科学研究班報告をめぐる動き | |||
3.昭和33(1958)年9 月のアセトアルデヒド製造工程排水路変更をめぐる動き | |||
4.患者のおかれた状況 | |||
5.水俣病という病名 | |||
第3章 | 水俣病の原因究明および発生源確定の過程(その2) | 77 kb | |
1.熊本大学医学部研究班の有機水銀説発表とこれに対するチッソの対応等 | |||
2.昭和34(1959)年11 月の答申後の厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会の解散、昭和35(1960)年1 月に設置された水俣病総合調査研究連絡協議会及び日化協の田宮委員会の動き | |||
3.見舞金契約が果たした社会的機能 | |||
4.昭和35(1960)年から3 カ年続いた熊本県毛髪水銀調査 | |||
5.入鹿山教授らによるアセトアルデヒド製造工程廃水からの有機水銀抽出の発表 | |||
6.国際学会における水俣病の報告 | |||
第4章 | 水俣病の原因究明および発生源確定の過程(その3) | 31 kb | |
1.新潟水俣病の発生 | |||
2.新潟県・新潟大学・国による新潟水俣病への対策 | |||
第5章 | 考察と教訓 | 190 kb | |
1.健康被害が生じる前の、あるいは健康被害が発見される前の対応 | |||
2.初期対応 | |||
3.健康調査 | |||
4.原因究明 | |||
5.対策 | |||
6.政策決定 | |||
第6章 | 水俣病事件の総括的教訓 | 21 kb | |
終章 | 人類が直面する環境汚染問題−結びにかえて− | ||
参考文献 |
この報告書は以下のように出版されています
「水俣病の悲劇を繰り返さないために−水俣病の経験から学ぶもの−」
橋本道夫編,中央法規(2000年)