Q
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A
さらに、汚染された環境の復元作業も必要になってきます。原則として、汚染者が汚染防止対策の費用や、生じた損害への補償、環境復元費用などを負担することになっています。ただし、一度失われた命や健康、汚染された環境は元には戻らないので、汚染させない予防対策が重要です。
水俣病は人々の健康や自然を破壊しただけではなく、経済的な被害や健康不安などを与えたほか、地域の社会に影響を及ぼしました。被害の実態が明らかとなり、責任をめぐって被害者と原因企業、また、補償をめぐって漁民と被害者とそうでない人たちの間に対立が生じ、差別や偏見も生まれるなど、社会問題になりました。
水俣病発生から9年後、昭和40年(1965)に、新潟県の阿賀野川流域で水俣病と同じ病気が発生しました。これは、昭和電工株式会社鹿瀬工場の排水に含まれたメチル水銀によるものでした。これら二つの水俣病は、四日市ぜんそく、イタイイタイ病とともに四大公害病といわれました。
水俣病の発生後長い時間がたち、一時は対立していた人たちの間でも対話ができるようになってきました。「もやい直し」の「もやい」とは共同で何かをしたり、舟と舟をつなぎとめることを言います。現在の水俣市は、環境と経済の調和した持続可能な小規模自治体モデルとして「環境モデル都市」に認定されるなど、世界的な問題である地球温暖化問題に先導的に取り組む自治体として、持続可能な低炭素社会の実現をめざしています。
「水俣条約」という名前には、水俣病と同じような健康被害や環境破壊を繰り返してはならないという決意と、こうした問題に直面している国々の関係者が対策に取り組む意思を世界で共有する意味が込められています。また、水俣病の教訓や経験を世界に伝えるとともに、今の水俣市の姿をアピールするために「水俣条約」と名づけられました。