Q
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A
水銀は、アセトアルデヒドを作る時の触媒として使われていました。製造工程で、水銀があるとアセトアルデヒドがたくさんできるようになります。普通、触媒自体は変化しないのですが、新日本窒素肥料株式会社水俣工場では目的以外の反応(副反応)も起こってメチル水銀ができ、メチル水銀を含む廃液をそのまま海に流していました。
昭和30年~40年代、水俣湾の魚には数10ppm(重さの割合の単位で、百万分の一のこと)にも及ぶ高濃度の水銀が蓄積していましたが、熊本県が行った調査では、国が定めた暫定基準(総水銀 0.4ppm、メチル水銀 0.3ppm)を超える魚はいなくなりました。このため、平成9年(1997)7月、熊本県知事が安全宣言を行い、操業が再開されました。
新日本窒素肥料株式会社水俣工場が使用した全水銀量は、380トンから455トンと推定されており、その半分以上が、湾外に流出したか、あるいは大気中に放出されたと考えられています。なお、しゅんせつ・埋立てを始めた時に堆積していたヘドロに含まれる水銀のほとんどは無機水銀(硫化水銀)であったと考えられています。
熊本県は、水銀ヘドロで汚染された水俣湾で、14年の歳月と485億円(うちチッソ株式会社負担306億円)の費用をかけて151万立方メートルのヘドロのしゅんせつと埋立て工事を行いました。その結果58ヘクタールの埋立地ができました。これは福岡ドーム8個分の広さに相当し、「エコパーク水俣」としてスポーツなどの施設を設置しています。